ひとりごと

昨年4月に復学するに当たり、その少し前に、母親であり研究者である方達のブログや体験記を多く読んでいた時期がありました。通りすがりで読んでいた物ばかりだったので、どなたの記述だったのかわからないのですが、印象に残っている記述があります。
「出勤する時、母モードから研究者モードにスイッチを切り替えるのは非常に簡単。でも、夕方保育園に子供を迎えに行く時には、研究者モードから母モードに切り替えるのはしばしば難しい」という内容でした(思い出して書いているので、一字一句は正確ではありません)。
復学中、時折思い出すこの内容ですが、私は常に逆でした。母モードをOffにする方が難しかった。実験が立て込んでいる時には、もうこんな時間か、もうちょっとやれたらなぁって思うこともしばしばありましたが。
家に帰ると、研究のこと考える暇がないので、母モードをonにするのは簡単でした。だから、時々、この内容を思い出しては、私って研究者に向いてないんだろうなぁと思って(軽く)落ち込むこともありました。
きっと、上記のような方が研究者としてばりばりとやっていけるのだろうなぁと今でも漠然と思います。


学位は何とか取れたけど、自分って本当に中途半端だなぁって思います。
子供の成長を自分の目で見て行きたいっていう思いが元々強かったので、研究は好きだけど、それよりも育児に重点が置かれているようです。
バリバリと自分のキャリアを作っていくことには最初から重点を置いていませんでした。女は家庭でとか誰かに強いられた結果ではなく自然とそうなっていました。むしろ、自分の両親は「男女関係なしにしっかりと!」という方針ですし。


だからこそ、ただでさえ厳しい研究の分野で、自分の心構えがなっていないなと思い、自分の専門分野でこれからも研究を続けていくことは自然と諦めていました。そりゃあもちろん、自分のやってきた分野でやりたいよ!と聞かれたら言いますが。


今でもそれが良いのか悪いのかわかりませんが、この中途半端な心構えでは、やっていけない世界であることは認識しています。だからこその実験助手なんです。学位まで取って何故って言われたり思われたりするんですがね。そんな道もあるんだなぁって自分では思います。別に自分の研究分野に思い入れがない訳じゃないし、捨てたい訳ではありません。


ただ、親を含め、私が学位を取るまで応援してくれて支えてくれた周りの人には、ちょっと後ろめたいです。学位を取った人が普通に期待される道に、進もうとしないのは、いけないことのような気もします。でも実際、この「思い」がずっと重たかったなぁ。


研究は好きだけど、研究を続けることが苦しいと感じることがあるのは、こういう自分で作ったレールのせいだと思います。脱輪は許されないぞみたいな完璧主義な自分(完璧主義なとこどうにかしたいです)が作ったレールですね。
何となくでもわかってくれる人はいるかなぁ。


研究の道に何の疑問もなく進んでいる人や必死にやっている人などには、「甘い!」と一喝されそうな内容ですね。すみませんー。自分ももっと若い頃は「甘い!」って一瞥していたと思いますし。そう思われて仕方ない内容だと思います。


でも、何でも精一杯(完璧に)やりたいと思うのが自分であり、また、幾つものことに手を出すとオーバーヒートしてしまうのも自分であり、私の中の一番は今も昔も家族であり、となると、やはりこういう思考になるようです。
「女は○○」というように一括りにされるのは嫌いですが、私は家庭に入っているのが好きなタイプです。これは、私が女だから、今の日本社会でものほほんとやっていけるけど、男の人でこういうタイプだったら、日々戦いだろうなぁ。逆に、女でこういうタイプでない人(自分の母など)もまた大変だろうなぁと思います。


ここらでちょっと、私は我が道に進んでみようと思います。